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お久しぶりなパリ便り。<その1>


しばらくぶりです。というのも、今日までパリに行ってきました。アジアの観光地は大体旅行したので、お次はヨーロッパへ!というわけで、ウィーン、ドイツ、フランス・・・と迷った挙句、パリへ。

パリといえば、ショパンが暮らし、そして亡くなりお墓がある場所。(皆さんご存知の通り、心臓だけはポーランドへと戻りました)ショパンを信仰している私にとって(笑)、パリまできたらショパンが眠っているお墓まで行かなければ!ということで三月某日、朝イチに行ってまいりました。



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posted by: ミーハー大学生 | ショパンにまつわる話 | 01:35 | comments(0) | trackbacks(0) |

バラ1の背景

ショパンが作曲した曲の背景を知りつつ聞くと、さらに感動すること間違いなし◎ショパンの曲は、サンドとの恋愛や母国であるポーランドが侵略されたことへの怒りなど、歴史的背景も大きく関わっています。

さて、昨日の続きで"バラード第1番ト短調op.23"の曲背景とは・・・

ショパンが20代前半に作曲。1831年に着手し、バラード1番が完成したのはなんと1835年。ショパンとしては異例の創作時間です。ショパンはポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチの詩を読んで、この曲へのインスピレーションを得たとシューマンに語ったそうです。 

リトアニアが十字軍に破れ独立を失った時、7歳の王子コンラード・ワーレンロットは虜になったが、十字軍の首領に息子として育てられ、十字軍きっての勇敢な騎士となった。後に首領に選ばれた彼は策略を巡らし、リトアニアの志士と協力してリトアニアの独立を計り首尾よく成功する。だが、彼は裏切り者として十字軍に処刑される。

それは、まだ若いショパンが祖国であるポーランドを離れ、ドイツにいたときに、ポーランドががロシア、プロイセン、オーストリアに侵略されてしまう・・・そんな陥落への怒りや悲しみを自身が経験しているからこその曲が生まれたのではないかと思います。

バラード一番って何??って思っている人〜!あの有名な『戦場のピアニスト』の劇中でシュピルマンがドイツ人将校の前で弾いた曲です。


参考:ショパンウェブ
posted by: ミーハー大学生 | ショパンにまつわる話 | 00:52 | comments(0) | trackbacks(0) |